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牛も自然も人間にとっても、幸せのあり方を模索して

岩手県岩泉町に、130ヘクタール(野球グラウンドが130面!)という広大な面積を有する「なかほら牧場」。

一年を通して牛が山で放牧されている日本でも珍しい牧場です。牛たちは広い山の中で自由に草を食べ、好きな場所で眠ります。角やしっぽを切られることも、鼻輪をつけられることもありません。出産にも手を貸さず、もちろん人工受精もしない、そんな何もかも自然に任せた酪農を実現したのが、今回紹介する「なかほら牧場」の中洞正さんです。 

苦節30年。これまでに様々な困難や逆境を乗り越え、〝理想の酪農〟を実現しました。中洞さんが求め続けた、しあわせな牧場のあり方とは――。

【 本物の牛乳の味 】

なかほら牧場の人気商品は牛乳、バター、プリン。その他、ヨーグルトやアイスクリームもおすすめです。

牛乳は720ml1,100円スーパーで売っている牛乳8倍くらいの価格です。バターも100グラムで2,000円と、通常の約5~6倍。それほど値段が高くなってしまうのは、牛の飼育や生産にこだわり、生産量が少ないから。 

「正しいやり方で牛を育て、生産をしようと思ったら、牛乳を1200円では絶対に販売できません」 

そう中洞さんは言います。

なかほら牧場の製品を口にした人は皆驚きます。一口で、通常の乳製品と全く違うことが分かるから。なかほら牧場の牛乳は、ノンホモジナイズ、低温殺菌。濃厚な風味だけれど、さらっとしていて口の中に残らない、奇跡のようなおいしい牛乳なのです。

【牛が山を守っている!?】

なかほら牧場は標高700850mの窪地に位置し、平らな牧草地ではなく山の植生を活用する「山地(やまち)酪農」という手法を用いて24時間365日の放牧酪農を行っています。

この山地酪農は、おいしいエサにストレスのない環境と、牛にとって最適なだけではありません。実は、牛が自然の草を食べ、山を歩き回ってくれるおかげで、自然に山が手入れされているのです。

「牛は単に乳を出したり、食用の肉に加工されるだけの動物ではありません。一緒に山の環境をつくり、守っていくことのできる動物なのです」

近年、土砂災害や山崩れなど、自然災害が猛威を振るっています。しかし、それらの原因を辿ると、その多くが、人が手を入れず放置されたために起こっていることが分かります。

山地酪農を実施すると牛が雑草や木の葉を食べてくれることで野芝が広がり、近くに残した糞尿が時間を経て栄養豊かな土へと変わり、野芝が元気に成長する。牛たちが自由に山で生活しているだけで、自分たちのエサとなる野芝が育ち、40~50cmにもなる長い根がしっかり土壌をつかんで土砂災害から山を守るという共生関係ができています。

【 ”家畜”に心を寄せて 】

近年、日本でも「アニマルウェルフェア(動物福祉)」という考え方が広がり始めています。

動物を「感受性のある存在」と捉え、家畜にとってストレスや苦痛の少ない飼育環境を目指す考え方のことで、1965年にイギリスで登場して以来、欧米を中心に世界中に広がりを見せています。 

日本で酪農と言われると、どんな姿をイメージするでしょうか?

『アルプスの少女ハイジ』に登場するような、大自然の中放牧をしている酪農家は、実はごく少数。大半が牛舎に牛を繋ぎ、乳量が増えるよう遺伝子組換え輸入穀物主体の飼料を与えています。  

人間にとってだけの効率化、コストダウンが重視された結果、牛は牛舎に繋がれ自由に歩き回ることもできず、ただひたすら、与えられた飼料をむさぼる。乳を出すために、ほぼすべての雌牛が適齢期になるとすぐに人工受精させられ、子供を産みます。そして、乳を最大限出し続けるために、「人工授精→出産」の流れをくり返し、乳が出なくなった牛は精肉として売られていきます。牛の寿命は20年ほどですが、牛舎に繋がれた牛は56年ほど……。 

中洞さんは30年も前からこうした状況に警鐘を鳴らし、牛らしく幸せで健康な牛の飼育を模索し続けてきました。その結果、2016年に日本でも「アニマルウェルフェア認証制度」がスタートした際、国内第一号として認証を受けました。

 

【牛の魅力に魅せられて】

牛の幸せを追求し続けてきた中洞さんは、1952年岩手県宮古市の集落の生まれです。周囲の家は皆が自給自足で、中洞さんの家も畑の他に中洞さんが小学生の頃から乳牛の飼育を開始し、牛乳を売るようになりました。

そこで牛の可愛さに目覚めた中洞さんは、小学生の時に将来は酪農家になることを決意。以来、牛を愛し、牛にとって最適な環境を求めて模索する日々が始まりました。

10代、20代の頃に、日本の多くの酪農家で牛が虐待も同然のひどい扱いを受けている事実を知り、衝撃をうけます。そして、大好きな牛が牛らしく生きられる方法を一人で模索し続け、先述した「山地(やまち)酪農」に出逢います。

山地酪農(山の植生や牧草を餌とする通年昼夜の自然放牧)は欧米では当たり前の方法で、スイスなどでは国が補助金を出して推し進めていますが、日本では非効率な常識外れの酪農であり、国や農協からも変人扱いをされたそう。

「ですから、この理想の牧場を実現するのは一筋縄ではいきませんでした。」

牧場をもつために7,000万円もの借金をしたこと。

農協への販売を辞める決断をし、直売に切り替えゼロから再スタートを切ったこと。

乳脂肪分の取引基準が3.5%以上に改定され、3.5%に満たない生乳は買取価格を下げられたこと(放牧をすると、青草を食べる夏場はとくに脂肪分が低くなるそう)。

これまで乗り越えてきた困難・逆境はこの欄だけでは到底紹介しきれません。

それでも、中洞さんは自分の信念を曲げることなく、理想を諦めなかった結果、徐々にお客様から支持されるようになったそう。
そして、食の安全や、家畜の扱いについて、社会の見方が変わってきたことも追い風になり、いまでは全国のファンが、なかほら牧場の製品を楽しみにするまでになりました。

 

【本物の味を届け続ける】

~酪農業界を変えることができるのは、「消費者」~

日本の山地は温暖で日射量や雨量も多いため、草の生環境だけで見ればアルプスの放牧地の3倍近く良好な環境にあります。しかし、国の制度が整っておらず、山地酪農を実施したいという人は多くはありません。

なかほら牧場では多くの研修生や見学者を受け入れ、これまで独立した人は北は北海道から南は石垣島まで、全国に16名が活躍しています。

 それでも、まだまだ酪農家全体の0.1%前後。

どうしたらこうした現実を変えることができるのか……

「業界を変えることができるのは、消費者の皆さんです。消費者が正しい選択をすることで、業界の流れを変える力になります」

中洞さんはそう力強く語ってくれました。

以前は生産者からの一方的な発信による情報が主体でしたが、いまは消費者がどんな情報でも流せ、大量にある情報の中から取捨選択ができる時代になりました。ですから正しい知識を身につけ、正しい選択をすること。それが牛を守り、正しい酪農を経営する牧場を助けることに繋がります。

また、近年の急速なインターネットの進化により、直接お客様とのやり取りができるようになったことも、農協への卸を一切行っていない、なかほら牧場にとっては追い風になりました。出来立てのおいしい乳製品を、直接お客様の元までお届けすることができるようになったのです。

 

【 お客様からの声に支えられて 】

山地酪農という理想の酪農を志してから30年。牛への愛情が人一倍強かったとはいえ、長い道のりの中で直面した数々の困難を乗り越えることができた理由――。

そう伺ったところ、

「お客様からの声だ」と嬉しそうな笑顔で答えてくださいました。 

「保健所の許可を取るには数千万円の投資をしなければいけないため、本当に始めたばかりの頃は知り合いなど一軒一軒訪問して牛乳を販売していました。しかし、訪問した大半の家がそのおいしさに驚き、定期的に購入してくださるようになり、その数は半年で300軒を超えました。こうした理解のあるお客様に支えられたんです」

「農協に出荷している時はお客様からの反応を直接知ることが出来ないどころか、同業者や関係者から〝異端児〟と馬鹿にされた扱いしかされませんでした。ですが、正しい知識を持ったお客様が支持してくださったことが心の支えになりました。喜んで下さる方がいたので、今日まで諦めることなく理想を追い求めることができたんです」

幼い頃から牛を愛し、牛と共暮らしてきた中洞さん。中洞さんが実現した山地酪農という理想のあり方にようやく社会気づき始めた感があります。

こうした牧場経営のあり方がさらに日本中に広がり、おいしい牛乳によって幸せになる 人、牛、自然が増えることを願いつつ、なかほら牧場の製品を通して、消費者である私たちが自らの消費行動を振り返り、より良い方向へ変わるきっかけとなることでしょう。


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